「学歴不要論」
Twitterやネットの世界ではよく議論されているように感じます。
ですが今この瞬間も勉強をしている学生さんはたくさんいるはず…
それなのに学歴は不要なのか?
大学受験を頑張り、難関ではないがそれなりに有名な大学を卒業した私が「学歴」について真剣に考えてみました。
よかったらご覧ください。
目次
学歴について考えてみた
学歴は不要?
インフルエンサーの「学歴は不要だ」「大学に行かなくても大切なことはネットで学べる」といった発言から物議をかもしているのが、学歴は不要か?という話。
私個人の意見としては「学歴は不要」なのではなく、「学歴が不要な人もいる」にすぎないと思っています。
結果的に学歴が不要だと思う人生を歩んでいる人は少なからずいるでしょう。
今やPC一つで生計を立てられる時代。
勉強よりも頑張るべきことはあるのかもしれない。
でも大多数の人は学歴…過去の頑張った自分に助けられた経験があるんじゃないでしょうか?
少なくとも私は、中学、高校の頃、勉強していなければ今の自分はいないと言い切れます。
大学院に進学せずに学部で就職していたら今の会社に入れていません。間違いなく。
院卒という学歴が無かったら今の私は180度違った人生を歩んでいたでしょう。
学歴のおかげで今の自分があるので、インフルエンサーの唱える学歴不要論には少し疑問を抱いてしまいます。
可能性(選択肢)を広げるツール
やりたいことが明確で、そのためにやるべき道筋を考えた結果、学歴より必要なものがある。
そういう人には学歴不要という選択が当てはまると思います。
ですが私みたいに、
「やりたいことがわからない」
「何になりたいかを考えてこなかった」
そんなふわふわした人間にとっては、勉強(大学進学)が最も有力かつ現実的な選択でした。
そしてそんな人間だったからこそ、勉強しておいてよかった。
勉強、学歴というものは自分の可能性(選択肢)を広げるツールです。
やりたいことがないなら、まずは選択肢を広げる努力をするべきだと思います。
その努力はいつかやりたいことを見つけた時に役立つはずです。
勉強だけじゃない。何においてもですが「頑張ったこと」はいつか自分の背中を押してくれると思うんです。
学歴の示すもの
そして現実的な話、まだまだ学歴の持つ力は大きい。
新卒の就活においては、残念ながら学歴フィルターというものが存在します。
学歴は自分のことを全く知らない相手に対して、「相応の努力ができる、相応の能力を持つ」という証明になるからです。
もちろん学歴がなくとも、高学歴な人より優秀な人はいると思います。
ですが企業からすると、全員と会って吟味する時間はないわけで…
優秀な人に出会える可能性が高いという理由で、ある程度の学歴で線引きをする企業が多いですね。
だから学歴によって就活における選択肢が広がるのは間違いないです。
そんな話をすると、「大学の4年間遊びまくってても大学名だけで有利になるのはずるい!」といった声も挙がるかもしれません。
しかし、受験というしかるべきポイントに向かってきっちり努力し、結果を残せている。
それって普通にすごくないですか?
私は努力しても望みの大学に入れてませんしね!( ̄▽ ̄)(開き直り
なので学歴は過去の自分の頑張りを証明するものになると思っています。
で、す、が、
学歴に驕ってしまうのは危険。
学歴が証明するのはあくまで過去の自分です。
日本の大学は入るのが難しくて卒業するのは簡単ですからね。
学歴は卒業時の自分の実力を証明することにはなりません。
だからこそ、大学のブランドに頼らずとも自分を証明できるように、常日頃から自分のできることを知って、増やして、深めておくことは大切なんじゃないかなぁと思っています。
学歴不要論
高学歴=仕事ができるわけではない
それはそうでしょう。
先の言葉を使えば、学歴は過去の自分の勉強面に対する「相応の努力、相応の能力」の証明。
仕事で求められる能力が勉強とは違うのであれば、当然「高学歴=仕事ができる」の証明にはなりません。
ですが、私は社内を見渡してみて思うのです。
仕事ができると言われている人はだいたい高学歴じゃないか?と。
「高学歴だから仕事ができる」は成り立たないけれど、「高学歴のなかで仕事もできる人の割合は多い」と私は密かに思っています。
学歴がなくても稼げる
大学に行かなくても身につけられるスキルや資格がありますし、起業すれば学歴なんて関係ない。
とはいえ、そのような実力社会で成功する人は一握り。
それができる人がどれくらいいるのか?を考えると、万人に学歴は必要ないとは言いきれない。
逆に学歴がなくても稼げる可能性はある、とは言えると思います。
大学はオワコンだ
オワコンが何を指すのか、というところからですね。
大学は研究機関としての役割を果たしておらず、就職予備校と化している。
そういう意味でオワコンと言われているのかなと解釈しています。
まぁ大学を卒業した私が言うのもなんですが、この意見は否めません。
大多数の人が「就職のために」大学へ入学しています。
じゃあ大学は就職予備校と化しているのか?
これに対しては一つだけ言わせてください。
大学自体は学びたい人が学べる場です。
ただ人によっては就職予備校になっている側面はあるかもしれません。
大学の良いところって、やろうと思えばなんでもできるところだと思うんですよね…
大学へ通ってみて知りましたが、人の数だけ4年間の過ごし方があります。
勉学に勤しむ人、バイトに明け暮れる人、サークルに夢中になる人、留学する人、インターンをガチる人、趣味に没頭する人etc…
それらの過ごし方は、本来の大学の在り方とは違うかもしれません。(それに対する議論は今回はパス)
ですが「本来の在り方と違うから大学へ行く意味はない」と言い切るのも極端かと。
自分で考えて納得して過ごしているなら良いんじゃない?と思っています。
社会に出たら圧倒的に時間がなくなります。
学問だけじゃなく、思いっきり自己投資できる期間になっていても…良いんじゃないかなぁ。
(学費に見合っているかどうかは、また別問題ということで!)
大学進学を勧めるか
もし子供ができたとして、大学進学を勧めるかどうか。
なんで大学に行きたいのかを1回考えてみて欲しいなって思います。
自分ができていなかったくせによく言うわって話なんですが(笑)
その大学に行きたい理由に対して否定も肯定もするつもりはありません。
ただ「なんとなく」選ぶ前に、自分なりに考えることに意味があるんじゃないかなと。
まぁ結婚すらしていないので、実際子供が成長した時にはもう時代が違うかもしれませんが(笑)
さいごに
論理が破綻している!といった意見もあるかと思います…( ´°ω°` )スミマセン
結局私は大学へ行ってよかったとしか言えないのです。
ただ大学生活を過ごすなかで考えることは続けていくべきやと思います。
大卒やからってどこにでも就職できるわけではないし、就職したとして仕事で活躍できるか・出世できるかはまた別問題。
社会に出てからも自分を鍛えるためには、「考えること」そして「行動すること」は必要になる。
考えて行動したことは経験という味方になると思うので、自由な大学生活といえどそこだけは意識するべきかなと思います。
あと、私は理系で大学院まで進みましたが今回のお話では大学院についていっさい触れていません。
大学院は研究機関なのですが、それでもやっぱり就職予備校の側面があると私は感じました(残念ながら)。
それについてはまた別の機会で考えてみます。
最後までお読みくださりありがとうございました!
ではでは( ´ ▽ ` )