【過去を振り返る】八方美人にまつわる思い出①

 

今でこそ自分の意見をはっきり主張できる私ですが、昔からこんな性格なわけではありません。

たまに一人っ子やもんね!って言われるんですが、そんなわけなかろうと声を大にして言いたい。

(↓一人っ子の本音はこちらから。参考までに)

【一人っ子の本音】一人っ子が語ってみた

 

私は、小学生の頃から大学の前半あたりまでずっっと人間関係に心を左右されて生きてきた弱い人間です。

誰にも嫌われたくないあまり誰とも距離を縮められない、典型的な八方美人だったと自覚しています。

今回は、そんな「八方美人」にまつわる私の過去のお話を綴ってみました。

ボリュームが大きくなったので、前半と後半に分けています!

嫌われるのが何よりも怖かった小学生時代

弱みを握られてはいけない

私は小さい頃….特に小3の頃からですね、人の目ばかりを気にしていました。

最も強く思っていたのは

絶対に弱みを握られてはいけない」という思い。

どこの世界の話ですか?って感じやけど、小学校の話です。

弱み(…その当時「好きな子の名前」は完全に弱みやった)を誰か一人に教えると光の速さでクラス中に広まり、本人の耳に届くような環境でした。

そうなったらもう大変ですよ。

好きな子が知れ渡ってしまった子はめちゃくちゃいじられるんです。

ほんで本人に知られると、今度はどっちもいじられる。

そんな恋が上手くいくわけもなく。

何なら好きな子にも距離をとられる始末。

そういう状況を見て、私は「絶対、あんなんなりたくない!」って本気で思った。

当時好きな子がいたけれど、身近な友達にもずーっと隠し続けました(笑)

本音が言えない

でも一つ問題がありまして。そのスタンスを貫くと誰にも本音が言えなくなったんですよね、怖くて。

マイナスなことを言ったら噂が広まって嫌われるかもしれない、とかずっと意識していました。

今でこそしょうもないですが、私はクラスの女の子に嫌われたくなかった。

グループが違う派手な子たちとも仲良くしたかった。妙なプライドがあったんでしょうね。

そんな思いが祟って、私は大抵聞き役になり、よく笑うけど、当たり障りのないことしか言えない子になりました。

 

うどん

周りの人から嫌われることはなかったけど、本当の意味で気心が知れた友達もできひんかったなぁ

 

 

八方美人な中学時代

恐怖のローテーション

その弱みを見せない、誰にも嫌われたくない八方美人スタイルは中学に上がってからも続きます。

中学ではもっと酷かった。

私は女子バレーボール部に所属していたんですが、私ともう一人の子、それ以外の派手な5人って感じでグループが別れていました。

まぁそれはいいんです。派手なグループとは雰囲気が違うということを自覚していたので。

でも恐ろしいのは、派手な5人はずっと仲がいいわけじゃないんです。

必ず誰か一人がはみ出されて、その度に私のペアの元へやって来るんです。

で、いつの間にやらこっちに来なくなったなって思ったら、違う子がはみ出されて、こっちにやって来るんです。

私からしたらもう意味がわからなくて…ずっとこっちに居ればいいのにって思ったんですが、みんな元のグループに戻っていきました。

まぁ私はペアの子と一緒にいて安泰だったんですが。

飛び火してこないように、嫌われないようにしないとって意識はずっとありました。

大切にすべき人

そしてこの頃の私はまだ、八方美人のままでした。

当時部長をやっていたことから、みんなと仲良くしとかないとチームが成立しない….という変な使命感もあって、みんなに良い顔ばかりしていました。

派手なグループともそれなりに仲良くしていたせいもあって、ある日私はいつも一緒にいたペアの子を蔑ろにしてしまい、友情に亀裂が入りました。

ちょっと、派手なグループの子達とも仲良くしたかったという邪な思いもあったことを白状しておきます。

結局私はいつも一緒にいたペアの子と仲直りをして、誰を大事にするべきやったか学んだわけですが…

それは、自分の弱さ(八方美人)を自覚するのに十分な出来事でした。

でも自覚をしただけでやっぱり本音を言うのは苦手でした。

うどん

当時からアニメ大好きやったけどオタクってレッテルを貼られるんが怖くて、誰にもアニメ好きやったこと言えんかった…

 

 

山あり谷ありの高校時代

楽しい記憶

そして時は流れて高校生になります。

クラス替えって本当に苦手で….ぼっちにならないだろうか、友達はできるだろうか、そんな不安ばかり抱えていました。

高校1年、私はクラスでぼっちにならないよう必死でした。

その場しのぎの関係やなって多分お互いに思いながらも、特定の子と一緒に行動していた記憶があります。

今思えば本当にしょうもないんですけど。

ただその代わりに、部活のメンバーには恵まれました。

この時もまだ自分の話を話題にするのが苦手で…上手く自分を出せなかったこともあり、部活のメンバーと打ち解けるのに数ヶ月要しました。

ですが幸いなことに、部活のメンバーは私をいじられキャラとして上手く料理してくれました。

(まぁこのいじられキャラも大変なもので、語りたい話は色々ありますが….それはまた別の機会で。笑)

そこからは楽しかった。部活のために学校に行っていると言っても過言ではないくらいでした。

高校2年に上がると部活の友達と同じクラスになり、さらに毎日が楽しくなりました。

日中もぼっちの心配はしなくていい、部活も楽しい。

誰かと共にいることで安心を得ていた私にとっては、安泰で最高の日々でした。

しかし、そんな日常に影を落とす事件が起こります。

突然の退部

高校2年の冬、当時10人いた同期のうち3人が退部しました。

しかも全然円満じゃなくて、それはそれはしょうもなく酷い事件でした。

バレーも上手くて部活の中心的存在だった子は、彼氏と別れてからどこか変わってしまったんですね。

唐突に「ピアスを開けたい」と言い出しました。

(うちの高校は校則がなかったのでピアス自体はOKなんですが、部のルールでピアスはNGでした。)

そして「ピアスが開けられないなら、部活を辞める」と言い放ったのは試合の2週間前のこと…。

その子と仲の良かった2人も一緒に辞めると言い出しました。

結局残されたメンバーは3人の退部を引き止めることができず、怒りと悲しさと無力感で部活の雰囲気は絶望的でした。

後輩からも大事な時期に身内でゴタゴタ何やってくれてんねんって感じで責められました。

あの頃の部活の雰囲気は輪をかけて酷くなりました。

人生のどん底

さらに絶望的なことに、私が同じクラスでずっと一緒にいたのは退部した3人だったんですよね。

部活があんなことになって、クラスで私だけ何もなかったかのようにその子たちと仲良くするわけにもいかず…

私はクラスでもぼっちになってしまいました。

あんなにも一人になることを恐れていた私が、です。

本当に生きた心地がしなかった。

当時の私にとっては人生で一番どん底な期間であり、今思い返してもあれ以上しんどかった時期はなかったと思います。

 

その後

その後部活は残されたメンバーが結束を固める形で上手く立ち直って行きました。

クラスでは違うグループの子と仲良くなって何とかなりましたし、最終的には辞めた3人の子ともそれなりに良い関係に戻れました。

今なお定期的に会っているのは、残されて結束を固めた部活のメンバーだけ、というのが皮肉なものです(笑)

うどん

私にとっては本当に大きな事件…。今となってはもっとやりようあったなって思うんやけどね

 

次回へ

長くなってしまうので、今回は一旦ここで筆を置かせていただきます。

最後の部分でもお分かりいただけるように、私は常に周りの人間関係に気持ちを左右されて生きてきました。

しかし、それを自覚したのはもっとずっと先のお話….

私を大きく変えたのは大学時代です。

 

Twitterやブログを読んで下さっている方は薄々感じていらっしゃるかもしれませんが、今の私はかなり自分に素直に生きています。

人間関係についても、別に無理に好きでいてもらわなくても構わないし、嫌いになるならそれでもいいと思えています。

今とは真逆の過去なんですが、いったいどのようにして今の自分になったのか…続きの記事でお話します。

良かったら次も読んでください!

 

うどん

次読んでもらえんと、ただ過去を晒しただけになっちゃう…(笑)

 

ではでは( ´ ▽ ` )

 

 

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